家業から事業へ。事業から社会課題解決へ。
創業から脈打つ『挑戦の歴史』の担い手として。【後編】

三ッ輪ホールディングス株式会社 代表取締役社長 尾日向竹

家庭用エネルギー事業を軸に、多種多様な商材やサービスを手掛けている三ッ輪ホールディングス株式会社。2020年には創業80年目を迎え、7つの事業会社、4つの出資会社を擁する企業グループへと成長を果たした。そんな同社の新たな歴史の描き手が、尾日向竹信である。曽祖父が起こした家業を継ぐ三代目として、どんな筆で、どんな絵を描こうとしているのか。その横顔に迫る。後編では三ッ輪産業に入社してから現在に至るまでの軌跡を語っていただきました。

現場百遍で掴んだ事業の生の姿

ー長野での経験はどうでしたか?

それはもう、コンサルとはまるで別世界ですよ。インフラ事業ですから、環境変化のスピードの違いは大きかったですね。加えて事業体としての動きも継続性が高い。つまり、よくも悪くも変化に対してビビッドじゃない。必ずしも急ぎ足で駆け抜けることが是ではないんだ、と学びましたね。

ーちょっとしたカルチャーショックですね

最初はまず総務や経理をやらせてもらい、全体の把握から。上場企業でしたから資料もチェックしていました。私もまだ若かったので、生意気にも書類のミスに赤入れして戻したり、人事考課をレビューしてあるべき姿について書き出したり。

でもみなさん非常に快く受け入れてくださいました。私の発言にもレスポンスしてくれたり、どうしてこうなっているのか説明していただけた。すごく感謝しています。そのうちに内部統制が入るということでプロジェクトを手伝ってほしいと。前職の経験が活かせる業務なので、恩返しの意味を込めてがんばりました。

ー得意分野ですね

内部統制を手がけるとすべての業務フローが見えてくるんですよね。申込書のやりとりは納品前か後か、控えはもらっているか、どこに保管しているか…現場の話を聞くために事業所をぐるぐる回ったんです。結果としてそれがよかった。事業の生の姿が解像度高く見えるようになったんです。

ー長野での経験は無駄じゃなかった

無駄だなんてとんでもない。ある日、灯油をタンクローリーで運ぶから乗っていく?なんて声をかけられて、お昼にお客様を訪ねたことがあったんです。そうしたらお客様がせっかくだからお昼を一緒にどうかということで、裏の山で採れた山菜が入ったラーメンをごちそうになったんですよ。

お客様との距離感が近い業界ということは知っていたんです。でも実際に体感することで、もしかしたらこれから先々戦っていくために磨くべき武器はこの接点じゃないかって。供給だけじゃダメで、その先の価値をどう出すかということです。

ー完全にいまにつながる考え方ですね

エネルギーを安定的に、安全に使っていただくのは必須です。でもこれからはその先にある、お客様の暮らしに対して何ができるのか。それを深掘りすることは我々の強みを活かすことになるし、競争の争点になると感じました。

結局2年後に帰ってきたのですが、関東の競争は長野と比べて猛烈に激しかった。だからなおさら供給の先を作っていかなければと。

ー戻ってすぐに危機感を覚えたわけですね

同時に組織化を意識していました。報連相からはじめて現場の動きを本社でキャッチできる体制を構築しなければ、と。でもこれ、すごく難しい課題だったんですよ。

現場はみんな職人ですからね。安全に、安定的にエネルギーを供給するアフターフォローの職人。資格を持っていて、ひとりで動く。でもこれからは現場の声をタイムリーに意思決定者に伝える体制が必要です。

ー現場は結構混乱したのでは?

当然、反発もありました。相当いろいろな策を練りましたが、やはりハレーションが発生しました。正直、抜けていく社員もたくさんいて。それでも属人性から脱却しなければならなかった。先代までは良かったんですけどね。職人たちをまとめてくれる名物支店長とか所長がいた時代。

でもそういう、動けば結果が出る時代ではなくなる。人が増える、世帯が増える、必然的にガスの供給件数が増えるという右肩上がりの絵はもうじき描けなくなる。そうなってからでは遅すぎるんです。

やりたいことがある熱い人を応援したい

ー尾日向社長の経営スタイルを一言でいうと?

経営スタイルは…放任です(笑)。私の能力がキャップになる組織ではいけない。戦う組織になるためには私を超える人間が必要です。ヒエラルキーを登るキャリアだけじゃなくて、スーパースターがいる組織。部分的に突出していて残りが欠落しているような人材や、とんがっている特殊な人も認められる。そういう人材が集う組織体にしたいんです。

ーそのためにも放任であると

チャレンジしろ、と言われてできる人ってなかなかいませんよね。新しい取り組みって結果が出にくいじゃないですか。チャレンジングな仕事が実を結ぶのには時間がかかるもの。それよりも既存のことをやり続けたほうが経験も使えるし、成果に繋がりやすい。おまけに評価が成果で決まるのであれば誰もチャレンジなんてしなくなるわけですよ。

私はそれでもチャレンジしたい、何かをやりたいという人の思いを大事にしたい。だからチャレンジャーには他の社員と異なる評価制度を用意しているんです。

ーそれは画期的ですね

なおかつリスクはすべて私が負うようにしています。チャレンジする上で背負わなければいけないものを最小限にしてあげる。チャレンジャーを一人でも多く輩出したいなら当然のこと。すべての最終的な責任を私が負うことで、リスクなく攻めることが報われる組織体。それが放任という意味です。やりたいことがある熱い人に、思いっきりやってもらいたい。

その代わり、リスクについてはかなりシビアに突っ込みますよ。私が責任を負う以上、報告はきちんとしてもらいます。ただやると決めた以上、どう動くかについてはチャレンジャーに任せます。

ー今後、事業を通してどのような社会を作っていきたいですか?

いま、ものすごく閉塞感がある社会ですよね。さっきのチャレンジの話もそうですが、リスクが大きすぎる。出る杭がことごとく叩かるんですよね。しかも失敗したときなどはもう立ち上がれないほどに。これでは若い人たちがチャレンジしなくなるのも当然です。

少なくとも私の会社の中ではリスクは極小化したいし、認められるんだ、形にできるんだ、というケースをたくさん作ることで次の世代の子どもたちに挑戦のバトンを渡していきたい。人口が減っても一人が出せる価値が大きなものであれば、まだまだ日本は戦えると思うんです。ものすごく大枠でいうと、そういったことを目指しています。

ー本日はありがとうございました!

他の社員インタビュー